You ware my new dream...

錦戸亮なしの人生は考えられない。そんな私が勝手気ままに綴るブログ。理想ばかり棚に並べて、都合のいい夢ばかり見てます。錦戸亮中心☺︎ 結局何が言いたいのかわからない人。

多色パレットな透明力

去年の冬から始めたVHSの整理が2009年までやってきて、ふいにその瞬間が来た。...というよりもVHSを選ぶ順番を間違えて、突然春から秋に飛んでしまって、突然その時がやって来た。

 


2009年10月18日の少年倶楽部プレミアム

 


10年ぶり...とまでは行かないけど、9年ぶり?8年ぶり?くらいに見た気がするこの番組。

 


改めて見て、何だか涙が止まらなくて。

 


ここに。※全てが完全なる主観に基づく個人の感想です

 

 

 

 

 

 

小学6年生の時に滝沢くんに似てると周りに言われて冷やかしで履歴書を送って、中1でオーディションを受けて今この世界にいる錦戸くん。小6という言ってしまえば何にも分からない頃に送った一枚の紙切れで人生がこんなに変わるなんて思ってなかっただろうなぁ...。自分の小6を思い出しても...既にヲタクだったから錦戸くんに現を抜かしてるだけだった、私は。勉強さえ出来れば後は何でもいいでしょ?くらいにしか思ってなかったのになぁ...すごいよなぁ、そんな時の一枚の紙で、一つの決断で、今もその世界で生きているんだもの。

 

 

実際にタッキーに会って...似てるな思いました。

ジュニアのトップを目の前にしても、そう思えちゃうのが、錦戸くんらしいなって思う(笑)何だかどことなく似てるんだよね。それは今でも思う。時々、ふとした瞬間に似てるなぁって。ちょうどこのプレミアムの頃はオルトロスの犬が終わった後だったよね。2人が兄弟役でなんかうわぁ、、、、、って思ったの。

 


「東京にはすぐ来たの?」

『比較的早かったと思います。』

「どのくらいで来た?」

『一年も経たんうちに』

「歌番組で?」

『はい。生放送の』

「それは誰のバックだったの?」

『いやっ...僕マイク持って歌ってました。』

「えぇ!!」

「一年経ってないうちに??」

『そうです、、そうです。』

これが、BIG WEST。懐かしいなぁー。マルちゃんだけ手違いで帰っちゃったんだよね...


「CDも出してるんだよね?東山さんと...」

『BIG WESTは無くなってた。あいつら入ってなかったんですけど...

10年前は何にも感じてなかったんだけど、さりげなく言ったこの言葉は錦戸くんのプライドの表れだったのかなって。だって、当時関西から東京に呼ばれてたのは横山裕渋谷すばる村上信五、そして錦戸亮の4人くらいだった。その中で自分にとっては大先輩だと3人のことは恐れてたし(悪い意味ではない)、いつも一緒だった3人に対して、錦戸くんの隣には同期の彼らがいなくて、1人で東京乗り込んで、東京のJr.に混ざって、関西ジャニーズJr.であるという不利な状況にもめげずに、遂にBBAのメインボーカルというチャンスを頂いて、それを掴んで、そしてSAMへと繋がっていったのだから、そこは線引きをしたかっただろうな、と。なぁなぁのまま、事務所に入って何となくCDを出したわけではない。自分なりに努力して、頑張って。

去年(?)のジャニ勉で錦戸くんが2/∞で中3の時の担任の先生と遭遇した時。錦戸くんは「オレ、あんま学校行ってなかったでしょ」って言ってた。この時に限らず、時々錦戸くんは"学校にあまり行けてなかったこと"に引き目を感じてるのかな?と思う言葉を聞く時があって。先生は「ちゃんと来てたよ。月曜はよう休んどったけどな(笑)」って言ってくれて。実際どれだけ学校に行けてたかは、本人達にしか分からないけど先生もその引き目を感じてることを知っててそう言ってくれてるのかもしれないって思ったんだけど。だって本人の記憶では"行ってない"だからね。で、どうして月曜は休んでたのかという話で先生が「しんどかったんちゃうん?だって週末は仕事で東京やもん」って言ってて。ヤスくんは「先生それ許したらあかんでしょ(笑)」って言ってたけど、その時にあの頃、関西組で東京に呼ばれてた義務教育中のジュニアって錦戸くんくらいだったんだろうなって改めて感じて。まぁ多分、ヤスくんたちは東京のお仕事に参加しても次の日ちゃんと学校行ったんだろうなとも思うけど(笑)。新幹線で寝過ごして岡山まで行っちゃって、大阪に行く新幹線もなくてお父さんに迎えに来て貰ったのも中学生の頃って言ってたよね?そうやって掴んだものだからね。

彼のプライドが見えた一言だった。別に2人を下に見てるわけではない、だけど、頑張って手に掴んだものだという(勿論、他の人たちも頑張っていたことは錦戸くんはわかってると思う)、ハッキリとは言わないけど彼なりのプライドだろうなって。

 


ABC 見てる時の

『(踊ってる3人は誰?に対して)風間くんと山Pと斗真です』

『ちっちゃぁ』

がかわいい錦戸くん。

 

Secret Agent Man

『うわぁ調子乗ってる!!なんすか、これ』

「ちょっと背伸びした感じのね!」

そうそう、こういうの本人は調子にのってるって思うだろうけど、他人(大人)がちょっと意気がった男の子をみると背伸びしてるんだなぁってかわいく思うだけなんだよね(笑)私が初めて買ったCDがこのCD。

 

錦戸くんがものっすごい恥ずかしがってるラブミーテンダーで、私ら今のような完全なるヲタクになりきった。

 

 

「結構小さい頃からマイクは持ってたんだね~」

そう、小さくてかわいいということだけでも推されやすいジュニア時代に(勿論その見た目も才能だと思う)、それに加えてボーイソプラノの歌声を持っていて、歌が上手いとみんなに絶賛された少年はチャンスを自分のモノにしていつもマイクを持ってた。錦戸くんのマイク歴はイコールで芸歴と繋がるくらいに。

 


「東京のジュニアへのライバル心はあった?」

『僕はそんなに、、あの3人は、3人固まっていつも仕事してたんですね。僕1人で東京のジュニアに混じって仕事することが多かったんです、だから東京、大阪で分けるのが嫌だった。

「東京のジュニアで仲良かったのは?」

『山P 斗真』

『合宿所に4人(山P斗真マルヤス)がいたら、山P斗真と遊びにいってた』

ジュニア時代の雑誌とか読んでてもわかるけど、本当に東京の子たちと仲が良かったよね。デビュー前からいつも"微妙"なところに立っていた錦戸くん。東京の子とも、関西の子とも仲が良くて、関西ジャニーズJr.でありながら東京のJr.の中にポンっと置かれたりするの。私は姉が二宮くんのファンだった影響で錦戸くんを見つけて好きになったんだけど、一緒に色々と見てた姉がいつも言ってた「りょうちゃんは本当に微妙なところに立たされてる」って。

 

 

関ジャニ8結成
『大阪の松竹座で舞台やるってなって大倉以外の7人が集まった。その年の冬にクリスマスコンサートをやることになって、大倉が加わって結成した...』

Anotherをやることになって、東京に行ってた4人が帰って来たんだよね。この時のこと、マルちゃんペリー来航みたいなこと言ってたっけ?なんかそんなニュアンスのこと言ってたイメージがある。

 

 

NewSで先にデビュー

複雑...でしたね。

デビューが決まって、裏切り者等のファンからの辛辣な言葉が沢山あったけど、あの時、世界で一番複雑な気持ちだったのは間違いなく錦戸くんと内くんだったと思う。

 

『ジャニさんから電話が来て。バレーボールのでつくるからって』

『東京行って次の日に会見』

『(メンバーには)言えなかったですね』

 

関ジャニ∞よ、さらばじゃって思わなかった?」

『正直、安心した感はあった』

「それは素直な気持ちだと思うわ。」

この時に安心したということを教えてくれるのが真っ直ぐで嘘がつけない錦戸くんらしい。デビューできるんだもん、安心するよね、だってJr.はみんなデビューを夢見て必死になってるんだから。正直、仲間なんて考えていられる状況じゃないじゃない?その世界で生きていけるか、いけないかの瀬戸際に自分も立たされているんだから。だから、関ジャニは?と思ったとかではなくて、安心したという思いを素直に教えてくれたことが本当に嬉しかった。何だかんだ言ってもデビューは心から嬉しかっただろうなって思うし。

 

『会見の前に関ジャニ∞もお前はやっていくんだよとジャニさんから言われた』

『どうやってやっていくんだろうって思った』

「正直に頷けなかった?」

『その時は、はい!って言ってました』

どうやってやって行くんだろうって思いながらも、はいって言えちゃうのが強い。前例のないことをこれからしなければならない、レールの敷かれてない道を進まなければならない、、そんな時に心の中ではどうするのかと思っていても、はい!と言えるのがどれだけすごいことか。そしてやっぱり、どうやってやって行くんだろうって、最初から思ってたんだなぁって。当時、いつも私たちの前では笑っていてくれる錦戸くんと内くんだったけど、やっぱり不安だったんだろうなぁって冷静に考えると思うよね。

 

 

関ジャニのデビューが決まってどう思った?
『めっちゃ嬉しかったですね!みんな、ご飯食べていけるって思った』

スタジオが笑いに包まれる。

この言葉を聞いて、本当にこの子は自分じゃなくて仲間なんだなぁって思った瞬間。だって、関ジャニのデビューが決まった時には、既にNEWSはメジャーデビューしてて、錦戸くんは朝ドラ「てるてる家族」にも出演してた。自分だけを考えてれば、既に食べていける状態だったし、余程のことがない限りは未来が保障されたも同然。そんな時に舞い降りたデビューに対して「みんなご飯食べていける」って思えるのが凄いと思うの。まだ20くらいの駆け出したばかりの子だよ?余裕だってないだろうに。きっと自分だけ先にデビューしてしまったことへの罪悪感もあったのだろうけど、懐の大きい人だなぁって。

 

 


錦戸くんが思うそれぞれのグループのらしさ

NEWS

『NEWSはみんな頭がいい。』

「それはその、大学行ってるってこと?」

『はい...』

「たしかにね、エリートだよ」

『そうです』

「綺麗!NEWSは真っ白なイメージ」

錦戸くんが当時学歴コンプレックスのようなものを抱いていたことは何となく感じてたよね。


関ジャニ

『汚ったない...汚くはないけど貧乏の集まりみたい』

「原色っぽい」

『ごちゃ混ぜな感じ...』

 


「白い世界と原色の世界を持つのは大変じゃない?」


僕自身は透明みたいな感じ。白に重なったら白に...』

 

透明になって、どんなカラーにでも染まれるようにいようとする錦戸くんが錦戸くんらしくていいなぁって思ってたんだけど、今見てもらしいなぁって思った。色の提示は太一くんがしてくれたんだけどね...。宝石コンの東京ドームで初めてshareを聴いた時、錦戸くんの歌詞に錦戸くんらしさが詰まってて、この人はこうやって一つになれなくても、キレイなマーブル描いて上手くやって来たんだなぁ、これからもやって行くんだなぁって泣いたんだけど、これを幾度となく聴いた後にこの番組見るとより一層グッとくる。昔レンジャーでもパレットの話をして、いつ何色を使うか...みたいなことを言ってたんだけど、もともと色に例えて考えるタイプなのかなぁ。

 


「切り替えは大変?」

『最初は、関ジャニでは喋らない、喋る人がたくさんいるから、NEWSは喋る人がいないからまとめてたけど途中でしんどくなった。自分が一番楽でいようと。』

この答えを見つけられてよかったなぁって私は本当に思う。もしこの答えを見つけられてなかったら、多分どこかで爆発する瞬間があったと思うの。だけど、錦戸くんはちょうどいい自分なりの答えを見つけられたから、最後まで二つのグループを走り抜くことができたんだと思う。


「NEWSでやってる時は関ジャニを考えられないほど必死になるわけでしょ?」

『はい。』

本当にどちらのグループにいても、そのグループのカラーに馴染んで全力でやってたよね。俳優の時は俳優で...。


「NEWSだけにしようとは思わなかった?」

『それはどうですかね?思ったこともあると思いますし....

どこまでできるか...どっちか一つにしたいと思ったこともありますし、はい』


「悩んで最終的にはどんな答えが?」

『最終的にはですね、まぁ、、、スケジュール的にはやってこれてるわけなんで、行けるところまで行ってみようと。』(スケジュール的にやってこれてるからって思えるあなたが凄いよって思ってたし、今でも思う)

どっちかどうにか、せぇへんかな?と思ったことがあると初めて聞いたのがこの時だったんだよね。メンバーには言えない、会社に相談したって。目をうるうるさせながら話す錦戸くんの姿に10年越しにまたしても号泣。虚勢張って強がって生きていく錦戸くんのこういう姿って全くと言っていいほど見たことがなくて、多分、そうやって強がることで自分を守るしか術がなかったんだとも思うし、本当にいつも、大丈夫!頑張る!倒れてるわけにはいかない!って言ってた...そんな錦戸くんの口から...初めて聞いた本音...震える声で話すそれは、やっぱり今見ても胸にくるものがある。どっちも大切だからこそ、一つに出来ないかを考えたんだろうし、どっちも大切だから揺れる目と震える声でそれを話してくれたんだろうなって。どちらも大切だから、中途半端にはできないっていう思いが伝わってくる。

いけるところまで行く...それが錦戸くんの答えだった。いけるところ...そこが本当にあの時だったのか、それは分からない。もしかしたらもっと未来だったのかもしれないし、本当は既に限界を通り越してたのかもしれない。でも、「いけるところまで行く」というのが錦戸くんの答えで、私は錦戸くんは最後までそれを全うしたと思う。NEWSが再結成した直後くらいかな?雑誌で言ってた「NEWSの錦戸亮関ジャニ∞錦戸亮も1人しかいない」という言葉。自分の代わりとなる人はいない、と腹を括って本当に最後の瞬間までやりきったなぁって、今なら言える。あの頃は「お疲れ様」の一言が精一杯だったから。

 

『常にふらっとでいいや』

『高校の時の友達と中学校の時の友達との付き合い方って微妙に違うじゃないですか?その感じでいいやって』

錦戸くんは本当にいい落ちどころを見つけられたんだよね。中高の友達って、本当に付き合い方って若干違ってて、けど、別に長くいるから仲が良いわけでも居心地がいいというわけでもない。周りにいる人が変われば、自分の存在の仕方が変わってくるのは至極当たり前のことで。それに気がつけたから、錦戸くんは8年間やり切れたんだろうなって思う。その当たり前の変化の存在を知らない?人たちから、随分と批判されてたわけだけど、今思えば、他人からなんていくら何を言われても構わないから、錦戸くんがもっとも錦戸くんらしく、楽な気持ちでやっていけるその"付き合い方の違い"をいい感じに消化して、みんなと上手くやっていくということが出来ていて良かったなと思う。


「緊張しぃなんだね」

『はい、緊張します』

「リラックスできる時は?」

『僕は家が好きなのでソファのいつもの決まったところに座って、DVD見たりギター弾いたり』

錦戸くんは当時から家のソファが好きだったらしい(笑)


「話してみてどうだった?」

『恥ずかしいです』

「そんな恥ずかしい話してないよ、、おれ素直に話してくれたなって」

本当に恥ずかしいものなんて何一つとしてなくて、素直な気持ちが聞けて嬉しかったよね、この番組。

錦戸くんって凄くストレートな性格で、嘘つくことが出来ないし、グレーを大切にするタイプなのに、YESorNO、白黒、どちらかというとハッキリしてるタイプ。だけど、弱音...とか、そう、内に秘められた本音を口にすることってほぼほぼない人だった。たまには辛いって言って欲しい、苦しいって、悲しいって、しんどいって言って欲しいって思うくらい常に「頑張ります」「死ぬ気でやらないと」「もっと頑張れる」「大丈夫」...そういう姿勢しか私たちには届くことがなかった。私たちの前で涙を零したのも、ソロコンサートでの嬉し涙一回だけだった。そんな彼がこの時に、ほんの少しだけ胸の内を明かしてくれて...本当に嬉しくて幸せだった。また、その幸せを思い出した。そして、相変わらず本音とか内なるものを沢山は教えてはくれないし、語らない美学が多分彼の中に根付いてるから、本心に触れられることはあまりないけど、それでも、時々、辛い、悲しい、苦しいって思いをほんの少し教えてくれる今が、私たちを信じて、その胸の内を教えてくれてるみたいで本当に幸せだなぁって思う。

 

当時、錦戸くんが両方のグループのファンに凄く気を遣っていたことも、メンバーに気を遣っていたこともよく感じてたし、錦戸くんのことをメンバーが気遣ってくれていたことも、掛け持ちを批判的に見ないでいてくれた他のメンバーのファンの子たちが気にかけてくれていたことも、全部全部痛いほど感じてた。

錦戸くんをきっかけにお互いのグループに興味関心をもってくれる人が沢山いたことも事実だし、度重なる誹謗中傷やら悪いことばかりが目立ってしまう世の中だったけど、それでも悪いことばかりではなかったとハッキリと言える。むしろ良いことのほうが多かったと思う、というかそう思いたい

 

今の錦戸くんをつくっているのも、間違いなくあの頃の掛け持ちがあったからだし、本当に何にも代え難い、かけがえのない経験を8年間していたんだなぁって。

 

 

...けど、私はこの番組に関連して一番心に残ってることは番組の内容じゃなくて。

放送に先駆けて、当日に太一くんが更新してくださった「TAHICHI」。

有料コンテンツだから全部を載せることはできないけれど、

"あの子は頑張ってる。地味で分かりづらいことかもしれないけど本当に頑張ってる"

というような言葉。私はあの言葉にどれだけ救われて、どれだけ涙を零したか。

こんなにも必死になって、一生懸命に、楽しそうに、幸せそうに...どちらの活動も個人の活動も頑張ってるのに、足枷だと言われ、つまらなそうだと言われて、バッシングを繰り返されて。同じ彼のファンでもどちらかの活動には無関心だったり、好きじゃないとまで言う人もいて。勿論、他担さんからしたら、溜まり溜まるものがあったのも分かってたし、今でもその気持ちは分かる。けど、それでもこんなにも頑張ってるのに、どうして頑張ってるその姿を一瞬でも認めてくれやしないのだろうか、どうしてもう一つの活動をもう一つのグループを端から否定的に見るのだろうか...。そんな状況に嫌気がさしてた頃だったのもあって、太一くんのその言葉が...胸に沁みてジーンと来て、嬉しくて、嬉しくて...本当に有り難かった。

分かってくれる人が分かってくれればそれでいい。

錦戸くんの10代の頃からずっと変わらないスタンス。

その"分かってくれる人"が、身近に、事務所の先輩に1人いてくれるということが目に見えて分かるということが、当時どれだけ嬉しかったか。大袈裟な何かは要らなくて、ただ"頑張ってる"ということ、それを認めてくれる人がいてくれるということがどれだけ救いになったか...

 

この番組は本当に大好きな番組だなぁ。

今の錦戸くんともう一度こうやってお話をして欲しいって思ってしまうくらい。

 

色々とあったのも事実だけど、私は錦戸くんの掛け持ちの時代があって本当によかったと思ってる。あの頃があるから、間違いなく今があると思うし、掛け持ちという前代未聞の道を、錦戸くんに歩ませてくれたことに本当に感謝してる。これを書いてたら、突然界隈がざわざわしてて、錦戸くんの掛け持ちが持ち出されて、"失敗"という言葉と結びつけてる人が沢山いて切なかったんだけどね、あの8年を失敗だったと思っていいのも、言っていいのも錦戸くんだけだと思う。錦戸くん以外の人に、あの死に物狂いで頑張った8年を失敗と言う資格はない...というよりも誰も言うべきでは無いと思う。あれが果たして本当に正解だったか、なんて多分一生分かることはないと思うけど、錦戸くんのファンの私は掛け持ちがあってよかったと心から思う。錦戸くん本人があれは失敗でした、と言わない限り、第三者の私たちが失敗だと言うべきではないなぁと。

 

 

 

名セッション

そして、同日収録の翌月放送だった名セッションの「あきれるくらい僕らは願おう」。

プレミアムトーク見ちゃったら、これも見ないわけにはいかない(私的には 笑)。これを超えるセッションは未だかつてないのではないかと思うほどの名セッション。(斉藤和義さんとの「パズル」と「歌うたいのバラッド」も好きだから困っちゃうけど)

なんだろうな...NEWSや関ジャニ∞という肩書きを一旦下ろして、単純に錦戸亮として届けてくれたセッションだと思ってて、こんな歌い方も、こんな歌声もあるんだなぁって思った。

優しくて温かくて切なくて。煌びやかな衣装もなく、ただ椅子とスタンドマイクがあるだけ。そして、先輩太一くんの素晴らしいピアノの音と錦戸くんの歌声、たったそれだけ。それだけで十分だと。俳優としてのイメージが年々強くなってて、錦戸亮といえばお芝居!みたいになってたけど、根本的にこの人は、可愛い顔面と天使力とそして、何よりも"歌"でジュニア黄金期のメインメンバー(年下組)に上り詰めた人だった...音楽でも絶対的な信頼感があるんだった...と改めた感じた瞬間がこの「あきれるくらい僕らは願おう」だった。

今見てもやっぱり凄くステキなセッションだなぁって思う。名曲は色褪せないっていうけど、こういう名セッションも本当に色褪せることを知らないよね。優しくて、温かくて、切なくて...憂いのある歌声と表情。歌と歌詞と錦戸くんの歌声と太一くんのピアノが美しく共鳴してて。なんだか妙に、錦戸くんの気持ちを歌ってるみたいで。"どうにも器用じゃなくて 傷つけることもある"って、まさに錦戸くんじゃん。優しくて人一倍仲間思いなのに、人付き合いが不器用だと言われる錦戸くんじゃん。あああぁなんか、すっごい沁みる。これHD画質で録画したいから再放送して欲しい...無理だよね...

 

 

 

 

※ここから完全に番組の感想からはかけ離れますので。

怒涛の掛け持ち8年の一部をカムバック

クリパ(2004年)の3日後には年末年始(2004〜2005)NEWSのコンサートがあった時。このクリパで大倉くんのドラムソロを錦戸くんが構成したって言ってた。この時からいつも錦戸くんは自分だけで上に行こうというよりはみんなで一緒に上を目指してる感じかしてとっても好きだった。

2005年が始まってすぐのNEWSのライブで錦戸くんがライブとライブの間に舞台のリハに行ってるという話になって、この人凄いなって。尊敬しろ!なんてふざけた感じで?言ってたけど、いや、尊敬とかいう言葉では片付けられませんって思ってた。忙しすぎて通し稽古をしないまま本番を迎えたSHOCK。2005年はNEWSのLIVE、∞のLIVE、SHOCK、NEWSのツアー、サマリー、城ホの前夜祭、松竹座...なんかもっと沢山あった気がするけど、何公演やるんですか?ってくらい舞台に立ってて...。あぁあれだ、ドリボもあった。NEWSのツアー最終日の翌々日からドリボに出演してた。物凄いスケジュールの中、隣にいた内くんに"亮ちゃんは本当に忙しかったはずなのに、しんどそうなのも表に出さないで頑張ってた"と言われる自担が誇らしかった。それに加えて「がんばっていきまっしょい」「1リットルの涙」と立て続けにドラマにも出て。ぶーやってる時はサマリー→サマスペ→サマリーと、中1日、2日くらいで立ってた。単純に人間じゃないこの人って思う、それくらいの仕事量だった。隣にいたあの子を失って、抜け殻状態になるのかと思いきや、むしろもっと頑張ろうとしてる姿に胸が締め付けられて、そして、錦戸くん上京。Mステスーパーライブは錦戸くんは関ジャニのクリパがあって不参加(6人でのチェリッシュ)。25日の朝公演(10時30分からだっけ?)が錦戸くんの寝坊による遅刻によって開演が遅れるという最初で最後の珍事件。正直それくらい仕方がないと思ってたし、誰も責められないよなぁって思ってた。本人が立てるというなら、いくらでも待つよ、と。けど、無理に立たないでいいよって。けど、その一回以外何にもないまま8年掛け持ちしてて...それがすごいと思う。私はずっと今日はいないかもしれない、今日は倒れちゃってるかもって思いながら会場に行ってたから。けど、錦戸くんは一度も、前もって出演しないことが予告されていたステージ以外に立たなかったことはなかった。たったの一度も。

倒れてるわけにはいかないと言っていた頃。目の前のことを頑張るタイプの錦戸くんが忙しすぎてそれすら見えなくて焦ってた時。親友の仁くんに休んだほうがいいと言われてたのもこの年?体重46kg時代...。見てるこっちが勝手に苦しくなるくらいのスケジュールなのに、いつも一生懸命で幸せそうで、私は幸せだった。10年後に知ったのが、この年の年休が2日だったこと。(錦戸くんはソロコンがあった年みたいな話し方だったけど、06年は妹さんの結婚式で休み貰ったりしてたから、多分05年だと思う。練習に参加できなくてビデオで振りを覚えてたのもこの年の頭かな?それとも07年?)

2006年は、年末からやってたNEWSのツアーに加えて、ソロコンサートを東京、大阪で開催。朝ソロ、昼夜NEWSという三部構成。(2005年の秋にソロコン発表になったんだよね、確か)ツアーが終わると同時にすぐドリボに途中参加して、その後SHOCKにに出演。SHOCKに怪我をした翼くんの代わりで急遽出演が決まった時には、ジャニさん本気で錦戸くんを殺す気か?って思ってた。この頃かな?最初で最後の一行ラブレターが更新されたのは。けど、どんなに短くても、どんなに遅れても、更新してくれることが嬉しくて有り難くて、今週も無事に生きていてくれてるとわかって本当に幸せだった。(この気持ち、今でも変わらないな。)そして、NEWSのツアーが始まり、ツアーが終わると同時に活動停止。錦戸くんに久しぶりの三連休があって休みは要らないと、休みがあるのは不安だと言ってた頃。

2007年始まりと共にNEWSが復活して、2月からツアースタート。なぜかこの横浜公演(初日)の一週間後にエイトの初ドーム公演があるという、相変わらず謎のスケジュールだった。関ジャニの47都道府県ツアー113公演目の沖縄から一週間後にはNEWSの台湾コンサート。そして、そのまま日本でもツアースタート。2008年は関ジャニが少しずつ推され始めて、グループのメディアへの露出が増えた。4月からと10月からとの2クール連ドラに出て、ツアーは三回。2009年は24時間TVのパーソナリティが決まって、オルトロスの犬も決まって、関ジャニのツアーも5月からスタートで、久々に感じた大丈夫かな?そして、確か6月の頭に24TVのドラマも錦戸くんだと発表されて、嬉しい反面心配だった。二つのドラマと24TVの事前準備、ツアーを並行してやっていたにもかかわらず、メンバーの変化に気がついて凄いなぁってまた惚れた。絶対にいっぱいいっぱいだったはずなのに。まぁこれは後に長野の話を聞いて感じたんだけど。(変化に気がついて話を切り出したのが錦戸くん)

 

まぁ一部切り出してみても、殺人的なスケジュールだったことは分かるんだけど、当の本人はファンにはいつも平気平気!大丈夫!って気丈に振る舞ってたし、プレミアムでもスケジュール的にもやってこれてるから...って言ってるくらいだし、きっと本人は勿論しんどかっただろうし、2005年は本当に死ぬかと思ったって後に言ってたけど、それでもそこまで苦痛には感じてなかったんだろうなぁって今では思う。まぁ彼が真の仕事人間っていうのもあると思うけど。

日々体調崩してたイメージはあるけど、それでも大病もせずやってこれた丈夫な体と相当な精神力があってこそ成し得たことだなぁって思うし、周りの人に恵まれてたんだろうなぁとも思う。

 

 

 

 

入所からここまで...さらに主観ばかりのアレコレ

8時だJの特番で錦戸くんがヒロミさんに「亮は?」って聞かれて「僕は滝沢くんは大先輩だから...でも、僕ら仲良かったよな、やまぴーとか」って答えてて、本当にこの人は嘘をつけない真っ直ぐな人だなぁと思ったんだけど。

実際、錦戸くんって本当に東京のジュニアと仲がよくて、関西ジャニーズJr.という括りが出来たばかりで、基盤すら出来上がってないそこに所属する西の子たちは、西での仕事がそもそもそんなにないし、東での仕事に呼ばれることすら難しかった。そんな中で東京での仕事に声をかけて貰えてたのが、横山くん渋谷くん村上くん、そして錦戸くんだった。

初めてMASKで村上くんとすばるくんと会う時に凄く緊張してて、すばるくんに「りょーちゃんやー!」って言われてびっくりしたと錦戸くんは後に語ってた。そう、錦戸くんにとって3人は滝沢くんと同じように自分の先輩だった。3人がいつも3人で一つだったのに対して、錦戸くんはいつも一人だった。

その中で意気投合して仲良くなったのが山下智久。山Pを通して、生田斗真、長谷川純を始めとする東京のジュニアと仲良くなって...実際、当時の雑誌とか読んでても錦戸くんが東京の子と仲が良かったことは簡単に分かるほど。仁くんや意外なところで亀ちゃんとも仲が良かったイメージ。

"内が事務所に入って、、マルとかヤスと仲が良かった頃、俺は山Pたちと仲が良くて、内とはグループ結成するまで話したことがなかった"みたいなことを言うくらい、グループ結成前まで、錦戸くんは東京のジュニアと仲が良かった。けど、それでも彼は関西ジャニーズJr.だった。そこのジレンマ。山Pという最高のマブダチが出来て、孤独を感じずに黄金期走り抜いて氷河期に入ったわけだけど、いつも孤独を背負わされてたんだと思う。自分の仲がいい東京の子は、やっぱり自分とは扱いが違くて...。大阪での仕事で仲がいい同期の仲間は、東京での仕事にはいなくて。ボーイソプラノのその歌声は上手で、天使の歌声だと言われ先輩をバックにつけて一人でマイクを持って歌って。東にも西にも仲がいい人はいて、みんな仲間なのに、どこか自分とは立ち位置が違う人ばかり。

 


なぜかいつも一人だった。

 


氷河期を経て、関西に4人が戻ってきて...舞台「Another」そして出来たグループが関ジャニ8当時、大阪で仕事をすることに少し戸惑ってたイメージがある。

大阪に戻ってきた4人は他の関西ジャニーズJr.にとっての希望でありスターだった。そして、氷河期の関西ジャニーズJr.にとって内博貴が期待の新星だった。

 


気がついたら8人集まって、デビューを夢見ていた。

 


そして、気がついたら関西ジャニーズJr.の...関ジャニ8のエースとホープであった錦戸亮内博貴の2人がNEWSとしてデビューをしていた。

 


気がついたら、錦戸くんの隣にはいつも内くんがいた。

 


気がついたら関ジャニ∞になってデビューをして、

 


気がついたら、また錦戸くんは1人になってた。

 


気がついたら、また独り。孤独と闘ってた。

 


口に出して「寂しい」と言ったのを聞いたことはないけど、自分1人だけが別の仕事で行けなかった食事会や集まりの話を永遠と聞かされている錦戸くんはいつもどこか寂しそうだった。そういう話が始まった瞬間に、誰も自分に気がつかないように、誰も自分に気を遣わないように、スーッと気配を消す錦戸くんを見てるのが、ごめん、勝手に苦しかった。

 

 

だけど、錦戸くんは好んで孤独と闘うタイプだと思ってて。大多数に埋もれて、怖いもの知らずで無敵になった気でいるよりも、独りで色んなものに立ち向かって、喜怒哀楽すべてを自分の五感で感じて、力強くゆっくりと一歩を進んで行くイメージ。

そんな錦戸くんのイメージとその孤独とがいいさじ加減で放っておけない!って感じてた人が沢山いたんだろうなぁって。

 

一つのグループだけの所属になって、ようやく"自分の居場所"を見つけられた錦戸くん。

居場所が見つけられなくて、いつもどこかフワフワしていた錦戸くんがそれを教えてくれた時、すごく嬉しかった。それでも、どこか遠くから"大好きな仲間"を見つめてる錦戸くんがそこにはいて、結局、自分から楽しそうなその輪に入っていけない彼の性格上、掛け持ちをしていようが、いなかろうが、変わらないんだなぁって思ったよ。その、居場所がないわけではないのに、どこかフワフワしてるところ。だけど、そこも錦戸くんの魅力の一つだと思う。

今でも変わらずひとりで戦うことができる錦戸くんがカッコいい。

 

 

 

自担が今も昔も一番好きなのはやっぱりメンバーなんだと思う

こうやって10年前の番組見て、色々感じて、この人はメンバーが大好きで大切なんだなぁって凄く感じたんだけど、それは今も変わらないなって。

2015年の再録Heavenly Psycho(編曲 錦戸亮)。この曲はレイニーのカップリングに収録された時からずっと、錦戸くんが大好きだと言ってた曲の一つだけど、CDは3人の色が濃く、7人になってからのこの曲はメインボーカルの二人の色がすごく濃い曲だった。だけど、生まれ変わったヘブンリは7人の関ジャニ∞のヘブンリになってて感慨深かった。錦戸くんはずっとみんなで上に行くことを願ってて、みんなで、みんなと...に拘ってたように(思ってたから)、やっぱりそう感じてたのは間違いじゃなかったんだなぁって。楽器を武器にして、がむしゃらに走って得た人気。その時に誰よりも頑張ったのが今まで楽器に触れたことが殆どなかった横山くんと村上くん。その二人の音から始まるその曲を聴いて、誰よりもその努力を間近で見て、認めてるのってやっぱりメンバーなんだなぁって思うと同時に、本当にメンバーが大好きなんだなぁって。

そして、Tokyoholic。CDで聞いて、再録ヘブンリと同じように横山くんのトランペットの音がすごく生きているし、ベースの音がすごくかっこよく効いてて、メンバーの努力をカタチにして、それぞれの良さを引き出せてて、そこに関ジャニ∞ならではの泥臭さと反骨精神とかカラーが反映されていて、ただただ脱帽だった。関ジャニの泥臭さって案外錦戸くんが要なのかもなと思った...というのはまぁ今はどうでもいいんだけど。

デビュー当時から、みんなと、みんなで、を大切にしているように感じてた、それが、今も変わらないんだなぁって、改めて今回感じた。

今の話になるとどうしても関ジャニの話だけになってしまうけど、錦戸くんはNEWSのメンバーのこともすごく大切にしてたよ。私は本当に大切にしてたと思う。(ドラマ撮影+初主演映画が公開した直後の忙しい時に、テゴマスのライブに行こうとメンバーを誘ったのが錦戸くんだったよね)

 

 

 

私の好きな人はやっぱりすごい

 

錦戸くんの作った詞

出来る事は人並みに
取り組んできたつもりです
でも先週気付いたんだ
僕が得る幸せも人並みです

この文章が作れるのが錦戸くんならではだと思うんだけど。

そう、だから、錦戸くんは人並み以上に取り組んで来てたから!人並み以上に頑張って来てるから!

間違いなく!!

人並み以上の幸せを得てるんだなぁって!!!

 

錦戸くんは多分この世界に入って、辛いこともしんどいことも苦しいことも悲しいことも沢山あったと思うけど

幸せなんだろうなぁって勝手に思ってるし

そうであって欲しいと思う。

世界一幸せになって欲しいなぁと。

 

 

久しぶりにあの頃の少年倶楽部プレミアムが見れて本当によかった。

 

 

関西ジャニーズJr.の錦戸亮関ジャニ8錦戸亮、NEWSの錦戸亮関ジャニ∞錦戸亮、俳優錦戸亮...私は、どれかに偏りがあったわけではなく、ただ錦戸亮が好きだった。今も同じように。私には"錦戸亮"という名前の前後に付くものは正直、何でもよかった。どこにいても何をしていても、錦戸くんは錦戸くんでしかなかったから。

だからどんなフィールドであっても、錦戸くんが頑張る場所であれば、頑張りたい場所であれば全部応援したかったし、応援してた。錦戸くんが嫌だと言わない限りは全部を好きでいたくて、全部が好きだった。

この先、もしかしたら錦戸亮という名前の前後に関ジャニ∞が付かなくなるかもしれないし、アイドル、歌手、俳優、どれかが付かなくなるかもしれない。けど、それでも、私は錦戸亮錦戸亮を全うする限り、錦戸亮を生き続ける限り、ずっと遠くから応援するつもり。陰から、長く長く応援していたい。

 


変わらないでとは言わないよ。変化が求められる世界で生き抜くためには、変化が不可欠であることも分かるし、そうやって変化して来たから平成が終わる今日まで、その厳しい世界で生きて来れたんだろうから。今までと同じように、年齢に合わせて熟成して、変化して、それでも芯はブレないで歩んで行くんだろうなって勝手に思ってるから、その変化に対応できる自分でいられるように私も一緒に成長して行きたいと思う。

 

 

これから先、色んなことに悩んで、何か決断をする時が来るかもしれない。だけど、どんな時も錦戸くんらしくいて欲しいって思うし、誰かのためじゃなくて、自分のために生きて欲しいと思う。

 

 

 

髪がなくなったって構わない。

もっともっと沢山皺を増やして、沢山笑って、これからも沢山の思い出を作れたらいいな。

 

 

 

これからも一緒に老いて行こうね。

 

 

 

 

 

 

透明でいようと思ってた錦戸くん。

錦戸くんは確かに透明になれていたと思う。

どちらのグループにいても、その輪を乱さず、そのグループのカラーの中で自分の最大限の魅力を発揮して、輝いていたから。

確かに、錦戸くんは透明なのかもしれない。

だけど、誰よりも沢山の絵の具がのったパレットを持ってる人だと思う。

その時、その場所、その状況に合わせて、最適かつ最も自分が輝けるカラーを上手に創り上げて魅せてくれる、そんな人だと思う。

人一倍色んなことを経験してきたからこそ、今、出せる色が沢山あると思う。

 

 

これからも、私は、錦戸亮の背中を追うだけ。

ただそれだけ。